夢か うつつか 〜正夢・逆夢 その2

        *お母様と一緒シリーズ (お侍 拍手お礼の二十二)
 

 
神無村は水源豊かな土地であるせいか、
深い霧に包まれての朝が訪のうことが多い。
水分りの巫女様に言わせれば、
秋に入って朝晩冷えるようになったので、
そろそろそんな朝が続く頃合いですねとのこと。
村の者らは慣れているし、侍たちも用心への勘はいいので、
さしたる支障は出なかろうが、
野伏せり側からの斥候が、それへと乗じて入り込まぬとも限らない。
見回り担当のカツシロウへだけでなく、
他の顔触れへも周囲への警戒が改めて言い渡されている。
そんな頃であったものだから、
誰かさんが鎮守の森にて野宿まがいの仮眠を取るのへも、
あんまり口やかましく注意も出来ず。
已なく、毎朝ちゃんと詰め所までお顔を見せに来なさいねと、
おっ母様…もとえ、シチロージが、
金髪の双刀使いさんへ重々言い置いたりもした訳だが。

 「…?」

昨夜は作業場の監督をゴロベエと交替して受け持ったのでの朝帰り、
ついついこぼれる欠伸をかみ殺しつつ、
詰め所までの道を辿っていた槍使い殿。
今朝もまた深い霧が立ち込める朝となった中、
畦道よりは幅もある小道を、
詰め所の屋根の輪郭が浮かび上がるのが見える辺りまで戻って来たところが、
向背からの足音に気がついて、その足を つと止めた。

 “誰だろう。”

こんな朝早くに結構な急ぎよう。
自分が辿って来た道を堂々と来る様子だから、
まさかに忍び入った身の斥候ではあるまい。
何かしらの一大事が出來したのかな?
だが、それにしては…この足音が引っ掛かる。
歩調があまりに細かく刻まれており、
村人のそれにしては切れが良すぎる。
だが、そうかと言って、
侍陣営にも この時期こうまで大急ぎの態を見せる者がいるだろか。
ゴロベエもヘイハチも、たとえ野伏せりの斥候と出食わしても、
それが一人二人なら自分で何とか出来るはず。
その報告に、こうまで速足となる必要があるだろか。
キュウゾウは論外だし、キクチヨなら…

 “もっと大騒ぎにしてますよね。”

注意警戒は足らぬかもしれないが、
決して腕っ節が頼りにならないという人物ではない。
ただ、戦においてはまだまだ不慣れで不器用な彼のこと。
そんな事態にあったとして、
彼ならこんな秘やかな足音のみにとどまらせはしなかろう。
そうと思った途端、ついの苦笑が浮かんだことから、
シチロージの裡
(ウチ)からも緊張感がやや薄れ、

 “カツシロウが何か見つけたのやも知れぬな。”

自分の判断では自信がないので、
師と仰ぐカンベエ様へとりあえずの報告にと急いでいる…と、
ままそんなところかなとの結論をつけ、
相手が近づいて来るのを待つように、足を止めたままでいたシチロージだったが、

  「……………え?」

いつもだったら、遠い遠い峰々の影を背景にして、
左右に広がる田圃の稲穂の金色が、
黎明の中、静かに佇んでいるのが見えるところを、
今朝は深い霧の紗がそれらを包み隠しており。
濃密な霧による真っ白い煙幕を透かした向こう、
やっとのこと何かが見えた…かな?と思った次の瞬間、
それがふっと消えての、それから。

 「…っ、うわっ!」

ぱふんっと、
一体何処からどういう角度で現れたかも判らない何かが、
自分の胴へむしゃぶりついて来たものだから、まあ驚いたのなんの。
ずっと拾っていた足音も消えたので、
“あれれぇ?”と身を乗り出しかけていたところへすがりつかれたという間合い。
心の臓が弱いお年寄りだったらそれだけで逝ってしまってたかもしれないが、
もしもシチロージがこんな理由で薨
(みまか)ったなら、
殺した当人が、きっと一番に悲しんだことだろう。
というのも、

 「…キュウゾウ殿?」

一体何に追われたら、この凄腕の青年侍がこうまで怯えるものなのか。
密着したままな体が細かく震えているのがありあり判るほど、
何にかへと ひどく怯えている。
さっきシチロージが拾った足音がこの彼のものだとしたならば、
ここまでの怯えが気配の制御を忘れさせてのことだろう。

 「どうしました? 何があったんですか?」

斥候と鉢合わせた…くらいで、この彼が此処まで取り乱すだろうか。
さっきもまずはあり得ないと真っ先に除外したほどに、
機能美にまで洗練されし、冴えて無駄のない所作や、
凛と咲き誇る水仙のようにすっきりとした痩躯や端正な面差しという、
その風貌の嫋やかさを大きく裏切って、
我らの中で最も腕が立つ練達で、冷静沈着にして判断力にも卒がない。
寡黙で表情薄く、あまり物事に動じない人性をしている彼が、
何物かから逃れるように駆けて来て、震えたままに誰ぞへむしゃぶりつくなどと。
こうまで大きく判りやすくも、動じておりますとの態度をあらわにするだなんてと、
シチロージにしてみればそっちが驚きでならぬほど。

 「キュウゾウ殿?」

落ち着いて下さいなと、だが、
顔を覗き込もうとしたり無理に引きはがしたりはせず。
しがみつかれたそのまま、懐ろの中へと見下ろせる薄い背中を、
双刀の赤い鞘を避けながら、殊更ゆっくりと撫で続けてやると、

 「…。」

震えの方は徐々に徐々に収まってゆく気配。
紅衣に包まれた細い肩といい二の腕といい、
お人形のそれみたいに白くて形のいい双手といい、
震えていたせいでますますと、やたら小さく見えるこんなお人が、

 “この刀を振るえば、雷電でさえあっさりと粉砕されるのですからね。”

見かけに拠らないにもほどがあると、
あらためて噛みしめていたシチロージだったが、
「…。」
こっそりと顔を上げて来た気配に気づいて、
「どうしたんですか? 話せますか?」
小首を傾げるようにしてやんわり訊いたのは、怯えをぶり返させぬため。
対処に急を要するような一大事なら、彼の側から告げているはずで、
駆けて来たのがそのためなら尚のこと、

 「………。」

こんな…物言いたげながらも依然としてのまだ何かしら、
躊躇が勝
(まさ)っているかのような、微妙で切ないお顔はすまい。

 「キュウゾウ殿?」
 「…夢。」

は?
瞬きが、1つ、2つ。

 「………あの。」
 「夢だった。でもっ。」

えと。
先が先に読めたと同時、
視線がさまよってしまったのは…対応に迷ったから。
こうまで真摯な相手を笑ってはいけないというのは真っ先に浮かんだが、
怒ってもおかしいし、同調してはもっとおかしいかしら。はてさて。

 「シチがっ。」
 「…とりあえず。」

何かよっぽど恐ろしい夢を見たらしい彼なのだなというのは判ったので。
その痩躯をギュッと、懐ろの中に抱きしめて。
こちらを見上げて来ていた彼の、
淡雪みたいな真白な頬へ、自分の頬をくっつけて。
自分という“現実”の温みを分けて差し上げて、


  「落ち着きなさい。
   アタシは此処にいますよ? あなたが望むだけ、一緒に、ね?」


柔らかな語調で、だが、一語一語くっきりと、
盤の上へ確かに置いてゆくように、
次男坊へと告げてやった、おっ母様であったそうな。



          ◇



 “そんなこともありましたねぇ。”

とりあえずはと詰め所まで運び、
囲炉裏に間近い上がり框へ、並んで座って。
よほどのこと打ちひしがれていたものか、
ちょっぴり猫背になった頼りない痩躯を、
すぐの間際に寄り添い、抱え込むようにして。
双肩は懐ろへ、
金色の綿毛の乗った頭も、
向こう側に手を添えて引き寄せの、頬を添わせるようにしての掻い込んでと、
それ以上はない いたわりの態勢にて、くるみ込んでの温めてやり、
さあ話してごらんなさいと、時間をかけて絆
(ほだ)したところが、
『…シチが斬られる夢を見た。』
同じ場にいながら、自分の助太刀も間に合わなくて、
それが本当に本当に怖かったと、訴えるように紡がれて。
確かに縁起でもない話ではあったれど、
それ以上に…鬼の如く強い彼が、この自分のことでああまで怯えてくれたのが、
不謹慎ながら、ちょっぴり嬉しくて擽ったかったっけ。
そうそう、そこで、
『正夢になってほしくない夢ならば誰かへ話せばいいんですよ?』と、
そうと諭して安心させたことを、ついつい思い出したのは。
ほんの先月、もう先月、
立ち寄ったかと思ったら今回はいやにさっさと出てった あのお人たちのこと、
さっき届いたばかりの早刷りの読み売りで、
記事になっていたのを読んだばかりだったから。

 “俺より先に死んではいかんなんて、かあいらしいこと言ってくれましたよねぇ。”

何処の さだまさしでしょうか、次男坊…。
(笑)
あの朝と同じほど、
ちょっぴり霧でも出ていそうな冷気がほのかに垂れ込めた黎明の中。
朝帰りのお客があったのを、太夫ともども門口まで見送りに出ていた蛍屋の若主人。
おお寒いと羽織りの袖へと手を引っ込めて、
肩をすぼめて母屋へ向かいかかっていたその途中、
庭先に呼び出し口を設けた“電信”の小屋から、
じりりんとベルが鳴ったのにハッとする。
こんな早くに誰だろか。
時差があるほど遠いところにはまだ、
ゴロさんやヘイさんも小箱を置いちゃいなかろに。
怪訝に思いつつも四畳半ほどの小屋へと入り、
機械の置かれた机の上、
台座に伏せてあった、細身のタンブラーのような受話器を手に取ると、
耳元へとあてがいながら、

 「はい、こちら虹雅渓のほた…。」
 【 シチっ!】

おやおや、噂をすれば影でしょか。
あまりの間合いの良さへ、ぱちくりと瞬いた若主人。
固まっていたのも数刻のことで、すぐにもおっ母様のお顔になると、
苦笑混じりに話しかける。


  「どうしましたか? 久蔵殿。
   …ええ、こっちはみんな元気ですよ?
   ………アタシがそんなことを?
   それはまたとんでもない夢でしたねぇ。
   勘兵衛様は? 笑って取り合ってくれない?
   あらまあ、じゃあシチが怒っていたと伝えて下さいませな。
   ………ええ。それで、次はいつ戻られますか…?」





  〜 どさくさ・どっとはらい 〜 07.4.28.


  *夢の話が結構多くてすみません。
   ウチのキュウゾウさんは“あまり夢は見ない”と設定したはずなのにね。
(笑)
   でも、筆者も結構おもしろい夢を見る方で、
   あと、同じ設定とか同じ場所だけど中身は微妙に違う、
   シリーズというか続き物みたいな夢も見ます。


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